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2026.02.17

本館民音音楽博物館「日本のオーケストラのあゆみ」展をみて思うこと〜池田卓夫

2026年はNHK交響楽団の前身、新交響楽団が指揮者の近衛秀麿らによって設立されてから100周年の節目に当たる。東京フィルハーモニー交響楽団は名古屋の「いとう呉服店」(現在の松坂屋)が1911年に組織した少年音楽隊をルーツとするので、N響より古いともいえるが、「大人」の団体に改組したのは1927年から29年にかけて。一般的には日本のプロオーケストラの歴史は1926年の新響発足を起源とする。
 
このN響と東京フィルの〝違い〟には少年か大人かといった単純な区分けを超えて、日本のオーケストラ黎明期を振り返る上での重要な論点が隠されている。極端に単純な物言いをすれば、明治維新以後に西洋音楽を本格導入する過程で、ことオーケストラに関しては学生をはじめとするアマチュアが先行し、プロフェッショナルな組織はアマが地ならしした土台の上に誕生したという図式があったように思えるからだ。
 
東京・信濃町の民音音楽博物館が2025年10月10日から26年6月28日の日程で公開している「日本のオーケストラのあゆみ〜響き合う音楽の軌跡〜展」は、洋楽受容の初期から現在に至るまでのプロオーケストラの歩みに光を当てた。同館が所蔵する楽譜や書籍などの資料を5つのテーマ----1)オーケストラ誕生の時代、2)大学オーケストラの輝き、3)オーケストラ文化の発展、4)演奏曲目の広がり、5)現代音楽の黎明----に分け、手際よく紹介している。
 
展示の冒頭(第1章)で山田耕筰(作曲家・指揮者)、柴田(三浦)環(声楽家)、鈴木米次郎(音楽教育家、東洋音楽学校=東京音楽大学の前身=創立者)ら黎明期のレジェンドの足跡を振り返った後、第2章は学生オーケストラが洋楽普及に果たした役割を詳しく伝えている。2025年2月に出た井上登喜子(お茶の水女子大学教授)著「オーケストラと日本人」(アルテスパブリッシング)が明治から昭和初期にかけての日本で学生オケの果たした役割に改めて光を当て、話題を呼んだ直後だけに、タイムリーな展示といえる。とりわけ、ベートーヴェン「第九」交響曲の第4楽章の日本人初演を担った九大フィルと、亡命ウクライナ人指揮者エマヌエル・メッテルの薫陶の下に朝比奈隆(指揮者)ら後の大音楽家を輩出した京大オケの活動の足跡に触れられるのが貴重だ。

ここから先は、N響発足後の昭和から平成にかけての展示が中心。1963年に発足した民主音楽協会(民音)の事業が大きな軸となる。当時は1950年前後に全国各地で組織された勤労者音楽協議会(労音)、1963年創立の東京音楽文化協会(東京音協)などの鑑賞団体がオーケストラやオペラの独自公演を全国規模で競い合い、クラシック音楽の大衆化に大きな役割を果たしていた。テレビ放送が白黒からカラーに替わる時期と重なり、まだ録画技術が未熟で高価だったため、クラシック畑の声楽家は出来立ての新曲を生放送の初見で確実に歌える能力を買われ、お茶の間に顔を浸透させることができた。これもまた、鑑賞団体のオペラ全国ツアーのロングランを可能にした重要な背景だった。
 
展示の第3章は読売日本交響楽団や新日本フィルハーモニー交響楽団などを起用した「民音定期演奏会」(1963年から2000年までに通算274公演を開催)の歴史を軸に展開する。さらに第二次世界大戦終結後の日本に音楽教育の礎を築き、桐朋学園大学音楽学部を拠点に小澤征爾、秋山和慶、井上道義、堤剛、前橋汀子、中村紘子ら数多くの演奏家を育てた齋藤秀雄の歩みが遺品とともに紹介される。齋藤は1967年の民音コンクールの指揮部門(現在の東京国際指揮者コンクール)の創設に関わり、初代審査委員長を務めた。

このコーナーでは鑑賞団体と車の両輪のようにクラシック音楽普及の先頭に立った2つの民放テレビ番組――東京12チャンネル(現テレビ東京)から日本教育テレビ(現テレビ朝日)が引き継ぎ、作曲家の黛敏郎が初代司会者を務めた「題名のない音楽会」、TBS系で指揮者&作曲家の山本直純が八面六臂の活躍を見せた「オーケストラがやって来た」と、NHK第一放送(中波ラジオ)の長寿番組「音楽の泉」が初代解説者の堀内敬三の著作とともにクローズアップされる。「題名…」が出光興産、「やって来た」がNTTに民営化される前の日本電信電話公社の1社単独提供である点も、企業に文化支援(メセナ)の歴史を振り返る上で興味深い足跡だ。
 
筆者には大学生時代の1979年12月、東京の日比谷公会堂で聴いたヘルベルト・ケーゲル指揮東京都交響楽団(都響)の民音定期演奏会、ベートーヴェンの「第九」に激しい衝撃を受けた記憶がある。高校生の終わり頃から都響の定期会員だったので、普段はどのような音色、演奏スタイルのオーケストラなのかを知っているつもりだった。ところが社会主義国、ドイツ民主共和国(東ドイツ)から忽然と現れたマエストロが1曲目の「エグモント序曲」を振り出し、最初の和音が鳴り響いた瞬間の低い音の重心、底光りするような滋味に満ちた音色は普段の都響と全く異なり、レコードで聴くドレスデンやライプツィヒの名門楽団の響きに近かった。この初来日の成功を受け、ケーゲルは都響やN響に何度か客演したほか、ドレスデン・フィルとの日本ツアーも行ったが、東ドイツが西ドイツに事実上〝吸収合併〟される形で消滅した直後、自ら命を絶ってしまった。名匠ケーゲルとの一期一会の邂逅をもたらしてくれたのが、あの民音定期だった。
 
ここで展示(第4章)は黎明期に戻り、島崎藤村や永井荷風ら往年の文豪と西洋音楽、とりわけワーグナーとの出会いが紹介される。個人的にはその列に、石川啄木の名があるのが新鮮に映った。堀内敬三、大田黒元雄ら音楽評論のパイオニアたちの著作も並ぶ。
 
第5章以後の柱は明らかに、1969年から95年まで20回にわたって開催された民音現代作曲音楽祭だ。日本を代表する同時代作曲家の新作世界初演が東京文化会館大ホールで尾高忠明の指揮、しかも無料で聴けるとあって筆者も毎年のように通った。何より素晴らしいのは演奏会のライヴ盤を発売、楽譜も出版するなど、後世の再演まで想定した周到な企画力である。筆者にとっても、八村義夫「錯乱の論理」、松村禎三「ピアノ協奏曲第2番」、武満徹「遠い呼び聲の彼方へ!」などの(今や)名曲が誕生する瞬間を共有できた喜びは大きかった。ロビーに佇んでいた武満さんに声をかけ、小澤征爾指揮ボストン交響楽団による「カトレーン」のLP盤にサインをお願いした。「このペンは消えないで残りますか?」と質問されたのが、武満さんの声を生で聴いた最初。以後、1996年に亡くなる寸前まで続いた交流の原点も、この現代作曲音楽祭にあった。
 
展示室中央には日本の交響楽団の演奏史編纂に孤軍奮闘したミュージックライブラリアンの先達、小川昻(おがわ・たかし=1912―2008)が民音音楽資料館から出版した著作や、近衛秀麿が個人で収集したフルトヴェングラー、メンゲルベルクら大音楽家の手形の数々が並び、観る者の想像力をさらに刺激する。

決して大規模ではないけれども、私たちが今日、当たり前のように聴いている日本のオーケストラがいかなる人々の努力の積み重ねによって成立し、ここまで発展を遂げてきたのかを短時間で把握できる、極めて優れた企画展示である。
 
池田卓夫
音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎
https://www.iketakuhonpo.com/
 
 
 池田卓夫(いけだ・たくお) 


1958年、東京都杉並区生まれ。1981年に早稲田大学政治経済学部を卒業、日本経済新聞社へ記者として入社。フランクフルト支局長として「ベルリンの壁」崩壊から旧東西ドイツ統一、冷戦終結までを現地から報道。帰国後は音楽担当編集委員を長く務めた。2018年退社後は「いけたく本舗」の登録商標を掲げ、フリーランス。執筆のほかコンサートやオペラ、ディスクのプロデュース、MC(司会)、通訳・翻訳、コンクール審査なども手がける。2012年に会津若松市で初演した福島復興復活支援オペラ、「白虎」(台本=宮本益光、作曲=加藤昌則)のエグゼクティブプロデューサーを務め、作品は三菱UFJ信託芸術文化財団「佐川吉男賞」を受賞。台東区芸術文化支援制度アドバイザー、エンジン01文化戦略会議メンバー。著書に「天国からの演奏家たち」(青林堂)


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