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ベートーヴェンの弟子であるケグレビッチ伯爵令嬢バルバラが所持していた、ヨハン・フリッツ。才能あるピアニストだったと言われるバルバラに、ベートーヴェンは「ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7」「ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15」などの作品を献呈しています。ベートーヴェンの弟子であるケグレビッチ伯爵令嬢バルバラが所持していた、ヨハン・フリッツ。才能あるピアニストだったと言われるバルバラに、ベートーヴェンは「ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7」「ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15」などの作品を献呈しています。

ヨハン・フリッツ

[オーストリア・ウィーン]
製作年:1800年頃
サイズ:全長=223㎝、
幅=117㎝、高さ=95㎝
音域:F1~f4、74鍵

ケースには、金属加工が施された唐草模様が飾られ、5本のペダルの中にベルとドラムを奏でる「トルコ式ペダル」を備えています。このピアノを所持していたケグレビッチ伯爵令嬢バルバラ(後のオデスカルキ候夫人)は、ハンガリーの貴族で才能あるピアニストとも言われていました。

「ヨハン・フリッツが制作された時代はこんな時代でした」ベートーヴェン、誕生 1770年 ヨハン・フリッツ1800年 ベートーヴェン、交響曲第3番「英雄」を作曲 ナポレオン、皇帝に即位 1804年 神聖ローマ帝国滅亡 1806年 ナポレオン失脚、ウィーン会議(~15) 1814年 「ヨハン・フリッツが制作された時代はこんな時代でした」ベートーヴェン、誕生 1770年 ヨハン・フリッツ1800年 ベートーヴェン、交響曲第3番「英雄」を作曲 ナポレオン、皇帝に即位 1804年 神聖ローマ帝国滅亡 1806年 ナポレオン失脚、ウィーン会議(~15) 1814年

モーツァルトやベートーヴェンなどの作曲家と親交の深かったピアノ制作者として知られるシュタイン家。ヨハン・アンドレアス・シュタインは、「ウィーン式アクション」と呼ばれるアクションを完成させモーツァルトはシュタインのフォルテピアノを大いに絶賛しました。孫のカール・シュタインはピアニスト、作曲家、教師として活躍していましたが、ピアノ制作の事業も継承し、後にウィーンの宮廷ピアノ製作者に任命され、祖父や父から受け継いだ、当時の技術を駆使しピアノを製造しました。モーツァルトやベートーヴェンなどの作曲家と親交の深かったピアノ制作者として知られるシュタイン家。

カール・シュタイン

[オーストリア・ウィーン]
製作年:1840年代
サイズ:全長=222㎝、
幅=132㎝、高さ=90㎝
音域:C1~g4、80鍵

西日本館展示中

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この時代のピアノは、弦を革やフェルトでくるまれたハンマーで叩いて音を出すことで、音の強弱をつけることができるようになり、表現の幅が広がりました。

「カール・シュタインが制作された時代はこんな時代でした」ベートーヴェン、誕生 1770年 ヨハン・フリッツ1800年 ベートーヴェン、交響曲第3番「英雄」を作曲 ナポレオン、皇帝に即位 1804年 神聖ローマ帝国滅亡 1806年 ナポレオン失脚、ウィーン会議(~15) 1814年 「カール・シュタインが制作された時代はこんな時代でした」ベートーヴェン、誕生 1770年 ヨハン・フリッツ1800年 ベートーヴェン、交響曲第3番「英雄」を作曲 ナポレオン、皇帝に即位 1804年 神聖ローマ帝国滅亡 1806年 ナポレオン失脚、ウィーン会議(~15) 1814年

ショパンが終生愛用したプレイエル。「ノクターン作品37の1ト短調」「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35」などの作品もプレイエル製のピアノで作られたといわれています。ショパンの主要な作品である「24の前奏曲作品28」「ノクターン作品37の1ト短調」「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35」「幻想曲へ短調作品49」等をはじめ、多くの曲がプレイエル製のピアノで作られているといわれています。フランツ・リストは「ショパンは銀色のように美しく、いくらかベールのかかったような音の響きと、非常に弾きやすいタッチの故にプレイエルを好んだ」と語り、ショパン自身も「私は気分が良くて、自分の求めるものを得るための充分な心身の力のあるときにはプレイエルも弾く」と語ったと伝えられています。ショパンが終生愛用したプレイエル。「ノクターン作品37の1ト短調」「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35」などの作品もプレイエル製のピアノで作られたといわれています。ショパンの主要な作品である「24の前奏曲作品28」「ノクターン作品37の1ト短調」「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35」「幻想曲へ短調作品49」等をはじめ、多くの曲がプレイエル製のピアノで作られているといわれています。フランツ・リストは「ショパンは銀色のように美しく、いくらかベールのかかったような音の響きと、非常に弾きやすいタッチの故にプレイエルを好んだ」と語り、ショパン自身も「私は気分が良くて、自分の求めるものを得るための充分な心身の力のあるときにはプレイエルも弾く」と語ったと伝えられています。

プレイエル

プレイエル

[フランス]
製作年:1845年
サイズ:全長=203㎝、
幅=129㎝、高さ=94㎝
音域:C1~a4、82鍵

このピアノは、ショパンが所有していた最後のピアノと同型のもので、ショパンが実際に愛した音を聴くことができる貴重なピアノです。製作年代の1845年は、ジョルジュ・サンドとの愛を育んでいた35歳のショパンが、「ピアノ・ソナタ 作品58 ロ短調」などの傑作を次々と生み出した時期です。ピアノ本体に配された「虎斑状」の模様は珍しく、当時の美しい調度芸術作品ともいえます。

「プレイエルが活躍した時代はこんな時代でした」ショパン、誕生 1810年 メンデルスゾーン、「ヴァイオリン協奏曲」作品64作曲 1844年 プレイエル・グランドピアノ 1845年 アメリカでゴールドラッシュ 1848年 ショパン、死去 1849年 シューマン、「バッハ協会」設立 1850年 ペリー、浦賀へ来航 1853年 「プレイエルが活躍した時代はこんな時代でした」ショパン、誕生 1810年 メンデルスゾーン、「ヴァイオリン協奏曲」作品64作曲 1844年 プレイエル・グランドピアノ 1845年 アメリカでゴールドラッシュ 1848年 ショパン、死去 1849年 シューマン、「バッハ協会」設立 1850年 ペリー、浦賀へ来航 1853年

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