講師
飯塚久夫氏
1948年、前橋生まれ。中学時代からタンゴに親しみ、高校時代の“ビートルズ”ブームに背を向け(ただし、1966年のビートルズ来日を企画したのは当時東芝音楽工業の洋楽本部長であった叔父)、大学時代はその叔父からタンゴの名門ODEONレコードの試聴盤提供を受け育った。
民音タンゴ・シリーズの始まった1970年に大学院進学のため上京、大学時代の専門が「音響心理学」であったため、オーディオ装置の進歩にも関心をもちながら、タンゴの道を邁進した。
「中南米音楽研究会」「SUIYOKAI」をはじめとする各タンゴ愛好会で解説を担当。
1990年から約10年間、月刊誌“ラティーナ”に「タンゴ温故知新」と題する記事を連載。
CDのライナー・ノーツ執筆や企画盤・復刻盤の編集も多く手がけた。
現在は“ラティーナ”誌に毎月新譜CD解説を執筆。
アルゼンチンの国立タンゴ・アカデミーの提携団体である日本タンゴ・アカデミー副会長。
講演の概要
「『音楽の力』文化講演会」の第2回目が、平成25年11月26日(火)19時より民音音楽博物館ミュージアムホールで開催されました。講師には、日本タンゴアカデミー副会長の飯塚久夫氏をお迎えし「タンゴの歴史と楽しみ方 タンゴの魅力と民音タンゴシリーズの意義」と題し、ご講演いただきました。
飯塚氏は、東日本大震災の日、中野サンプラザで演奏していたグループ「コロールタンゴ」の、日本では発売されていない貴重なDVDを通し、1880年にタンゴが楽譜化されてから、プグリエーセによって現代のタンゴが完成されるまでのタンゴの歴史を紹介。特にプグリエーセは、楽譜通りではなく、早くなったり遅くなったり、また、音を隠したりする演奏をしていたことを紹介し、この現代タンゴの特徴が、邦楽の「ため」とか「ゆれ」、日本文化で大事な「間」に通じているのではないか、との自説を披露。このことが、「タンゴの第2の故郷が日本である」といわれるほど日本人がタンゴを好きな理由ではないか、と語った。
今、世界でなぜタンゴのブームが起きているか。それは、社交ダンスとは少し違った、アルゼンチンタンゴの踊り方が、10年前くらいから世界を席巻していて、アルゼンチン流のタンゴの魅力というのが世界的に再認識されているから。社交ダンスとアルゼンチンのタンゴダンスとの最大の違いは、技巧ではなく、「タンゴ音楽の情感にどれだけ合わせて踊れるか」に最大のポイントがあることである、と解説した。
1970年に民音タンゴシリーズが始まった。このことは、アルゼンチン・タンゴにとって極めて大きな意味を持っている。70年代は、南米各国、特にアルゼンチンにとって、再び軍事政権に向かう大変な時代。アルゼンチンは、1976年~82年の間が、軍勢政権。その前兆のとして70年ごろから、タンゴがだんだんと衰退していく。その時に、民音が一流の大マエストロたちを日本に呼んだ。これが実はアルゼンチン・タンゴ界に救いとなった。もし、民音が70年代これを続けなければ、今日のタンゴとは違ったものになっていたかもしれない、と力説。
タンゴの魅力は、演奏を中心に、ダンスそして歌と三つある。歌詞のほとんどは「ふられた女を忘れたい」とかいった内容だが、実は忘れたくても忘れられない。「忘却」と「追憶」を歌っている。この一見矛盾した「忘却」と「追憶」の葛藤、そこにタンゴにとって大事な深みといったものが実はあると思う、とタンゴの魅力について語った。