田邉尚雄 略年譜
元号 | 西暦 | 年齢 | 主な出来事 |
明治16年 | 1883 | 0 | 東京府南豊島郡千駄ヶ谷村字西信濃町(現・東京都新宿区信濃町)に生まれる |
(父)本岡龍雄 (母)ふみ | |||
明治28年 | 1895 | 12 | 田邉家の養子となる(本岡尚雄改め田邉尚雄) |
明治34年 | 1901 | 18 | 第一高等学校理科(第二部)入学 |
明治36年 | 1903 | 20 | 東京音楽学校ヴァイオリン選科に入学 |
明治39年 | 1906 | 23 | フランス人ノエル・ペリーに和声法、作曲法を学ぶ。 |
明治40年 | 1907 | 24 | 東京帝国大学理科大学理論物理学科卒業(首席) |
大正9年 | 1920 | 37 | 正倉院楽器調査研究(音律測定) |
大正10年 | 1921 | 38 | 朝鮮(李王家雅楽調査研究)旅行 |
大正11年 | 1922 | 39 | 台湾高砂族音楽調査及び中国厦門調査 |
沖縄音楽調査旅行 | |||
文部省邦楽教育調査委員会委員 | |||
大正12年 | 1923 | 40 | 中国音楽研究旅行 |
樺太、アイヌ、ギリヤーク、オロッコ音楽調査旅行 | |||
大正13年 | 1924 | 41 | 満鉄の招聘により満州各地公演旅行 |
大正15年→ 昭和元年 |
1926 | 43 | 国学院大学教授となる |
昭和3年 | 1928 | 45 | 朝鮮・京城にて都山流演奏会 |
昭和4年 | 1929 | 46 | 帝国学士院賞受賞(東洋音楽の研究に対し) |
昭和5年 | 1930 | 47 | 東京帝国大学文学部美学科講師(日本音楽の理論と歴史) |
昭和7年 | 1932 | 49 | 第7回世界教育会議、東京にて開催(レコード教育委員として参加) |
昭和9年 | 1934 | 51 | 南洋群島音楽調査旅行 |
昭和11年 | 1936 | 53 | 東洋音楽学会創立(会長に就任) |
昭和14年 | 1939 | 56 | 「音楽博物館」建設趣意書を発表 |
昭和16年 | 1941 | 58 | 満州公演旅行(満州国政府招聘) |
昭和23年 | 1948 | 65 | 早稲田大学文学部講師(音楽史) |
昭和24年 | 1949 | 66 | 東京電機学校が東京電機大学となり、音楽教養講義担当 |
東京音楽学校は東京芸術大学音楽学部と改める | |||
昭和25年 | 1950 | 67 | 芸大で初めて東洋音楽史を講義する |
昭和26年 | 1951 | 68 | 武蔵野音楽大学教授 |
昭和31年 | 1956 | 73 | 日本文化人中国訪問団団長として中国各地旅行 |
昭和32年 | 1957 | 74 | 紫綬褒章受章 |
昭和40年 | 1965 | 82 | 勳四等旭日小綬章受章 |
昭和47年 | 1972 | 89 | 日本国際民族芸能祭実行委員を総裁・三笠宮殿下より委嘱 |
昭和49年 | 1974 | 91 | 叙勲勳三等瑞宝章 |
昭和56年 | 1981 | 98 | 文化功労者に選定される |
昭和59年 | 1984 | 3月5日永眠(享年100歳) |